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市川左團次 (3代目) : ミニ英和和英辞書
市川左團次 (3代目)[さんだいめ いちかわ さだんじ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [し]
  1. (n-suf) city 
: [かわ]
 【名詞】 1. river 2. stream 
: [つぎ]
  1. (n,adj-no) (1) next 2. following 3. subsequent 4. (2) stage 5. station 
: [よ, しろ]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 
: [め, もく]
 【名詞】 1. (1) item 2. division 3. class 4. (2) piece (in Go)

市川左團次 (3代目) : ウィキペディア日本語版
市川左團次 (3代目)[さんだいめ いちかわ さだんじ]

三代目 市川左團次(さんだいめ いちかわ さだんじ、1898年明治31年)8月26日 - 1969年昭和44年)10月3日)は、大正から昭和中期の歌舞伎役者。本名は荒川清(あらかわ きよし)。屋号高島屋定紋三升に左(みますに ひだり)、替紋松皮菱に鬼蔦(まつかわびしに おにづた)。俳号は「新車」。
初代市川左團次から二代目市川左團次と相伝された男性的な力強い芸風とは大きく異なり、江戸っ子で門弟から芸一筋で出世し門閥の養子として大名跡を襲名した三代目は、様々な役割を器用にこなしながらも、あくまで脇に徹する手堅さを持ち、苦労に裏打ちされた存在感のある独特の風があった。戦後歌舞伎を盛りたてた名優の一人である。
== 略歴 ==

* 1898年明治31年)8月26日 日本橋浜町料亭の子に生まれ、後に六代目市川門之助の養子となる。父の師である九代目市川團十郎の門人となる。

* 1902年(明治35年)9月、歌舞伎座で四代目市川男寅の名で初舞台。
* 1907年(明治40年)より六代目尾上菊五郎門下で舞台活動を始め、
* 1917年大正6年)には市村座にて四代目市川男女蔵を襲名。六代目菊五郎の薫陶を受けながら二枚目や若女形を勤めた。
* 1949年(昭和24年)に六代目菊五郎が死去し、菊五郎劇団が再結成されると劇団理事となり、脇役として七代目尾上梅幸二代目尾上松緑十一代目市川團十郎らを支える。
* 1952年(昭和27年)、二代目市川左團次未亡人の希望もあって、名跡を受け継ぎ三代目市川左團次を襲名。
5月歌舞伎座の『女鳴神』の鳴神尼がその披露狂言であった。その後、歌舞伎界の重鎮として舞台に活躍、
* 1963年(昭和38年)には日本俳優協会会長に就任、
* 1969年(昭和44年)6月国立劇場妹背山婦女庭訓・道行』の烏帽子折求女が最後の舞台となった。
* 1969年(昭和44年)10月3日 死去。。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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